大判例

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東京地方裁判所 昭和44年(合わ)322号 判決

被告人 I・O(昭二五・八・二八生)

主文

被告人を死刑に処する。

押収してある(1)くり小刀一本(昭和四五年押四五六号の一四)、(2)大型スーツケース一個(同号の二四)ならびに(3)ビニール袋八枚および布テープ六枚(同号の三〇)は、いずれもこれを没収する。

理由

(被告人の生立ちと犯行に至る経過)

被告人は、○○市役所港湾課職員であつた実直、無口、温和な性格の父と、温和でどちらかといえば昔風な主婦タイプである母との間の五男(男ばかりの五人兄弟の末子)として、長崎市内で生まれ、生後五、六ヵ月のときに肺炎を、中学時代に虫垂炎と中耳炎を患つたほかは、顕著な病歴がなく、乗物に酔いやすいことを除いては、全く健康に育つた。幼少時、家の暮らしは、楽でなく、母が内職に精を出して家計を助けざるをえなかつたが、被告人が小学校に通う頃から、暮らし向きも徐々に良くなつていき、また、家族仲は円満で、被告人は主として母から、兄達とわけへだてされることもなく、普通に家庭内での躾を受けた。しかし、被告人は、幼い頃から、内向的、消極的な性格で、落着きがなく注意力の散漫な子で、○○市内の小、中学校に学んだが、その成績も、兄達にくらべると劣り、大体「中の下」であつたけれども、体育実技には優れ、中学時代運動部で活躍し、東京オリンピックの際は聖火リレーの随走者に選ばれたりもした。

被告人は、中学校卒業時に就職を一応希望していたが、家族の勧めもあつて、進学することになり、公立定時制高校にも受験したが落ちたため、比較的学力程度の低いと評されている○○市内の私立高校に入学した。しかし、間もなく、学校が嫌になり、また家族からそれでは理容師とか自動車整備士とかの手に職をつける途に進むよう勧められたのに対し気がすすまなかつたりしたことから、一年の夏休み中である昭和四一年八月五日、父名義の預金を勝手に引き出したりして得た約一〇万円を持つて家出し、週刊誌の広告で知つた熱帯魚飼育の仕事をしてみようと思い、神戸市に行つたが、探した熱帯魚店が見つからないため、同月一六日から同市内のパチンコ店に住み込んで働いた。昭和四二年二月末被告人は、同店を辞め、同時に同店を辞めた者の誘いで、共に上京し、同年三月初旬から東京都品川区○○○にある印刷所に住み込みで勤めたが、その後当時都内蒲田に住んでいた三兄と連絡をとつたため、被告人の消息を知つた両親や右兄の勧めにより、同年五月末頃右印刷所を退職して、間もなく○○市の両親のもとに戻つた。前記のパチンコ店や印刷所に勤めていた間、被告人の勤務ぶりは真面目であつたが、非社交的な性格のため、無口で、親しい友達もできず、独りで映画やテレビを見たり漫画本を読むことを趣味とする生活を送つていたのであつた。

約一〇ヵ月ぶりに実家に帰つた被告人は、しばらく遊んで過した後、昭和四二年八月一日から、○○市内の石油会社に入社し、自宅からの通勤でガソリンスタンドの給油、パンク修理等の仕事に従事したが、やがて、芸能娯楽雑誌等で紹介される映画スター等の豪華な私生活に憧れ、容貌もスタイルも頭もよく、金があり、体力もあつてスポーツが堪能で、外国語も上手な映画の主人公のようなカッコいい男を強く夢に画くようになり、自分も、金を得て、いい家に住んでぜいたくな生活をし、ボディ・ビルで体を鍛え、各種のスポーツが上手で英語もしやべれる男になりたい、そうなれば、自分を馬鹿にしたり威張つていたりした者達を見返してやることもできるなどと考えるに至り、同年秋頃から、このような欲望をみたすための資金獲得の方法として、女優や女性歌手を誘拐して身代金を取ることを半ば空想的に頭に画くようになり、その頃ノートに百名以上の女優や女性歌手の名前を書き連ね、各人別に身代金の金額を記入したりした。それでも、被告人は、引き続き前記石油会社で働いていたが、職場に楽しさを感じることができず過すうち、ぜいたくでカッコいい生活をしたいとの前記欲求はだんだんと強まつていき、昭和四三年五月頃には、前記の女優等の誘拐の考えも、より具体性を帯びてきて、誘拐した女優等の裸体写真をとつたり、強引に肉体関係を結んだりしたうえ、これを種に脅かせば、相手は人気商売であるから要求どおり金を出すだろうと考えたり、誘拐

の対象となりうる女優等のリストやその身代金の金額を書き改めたり、奪つた身代金の使途をノートに記入したり、また将来体を鍛えて腕力をつけた際に殴る等して復しゆうしてやりたいと思う数十名の小、中、高校時代の生徒や先生の名前を書き出したメモを前記ノートにホッチキスで貼りつける等のことをするとともに、女優等の誘拐計画を実現するため時機を見て会社を辞めて上京しようとの考えを抱き、その予定表をノートに書いたりした。こうした気持でいた折柄、同年七月初め頃、被告人は、給油所での勤務中、上司からパンク修理に不手際があつた等として殴打されたりしたため、ますます勤めが嫌になり、上京の決意を固めて、同月二五日親にも相談せず前記石油会社を退職したうえ、翌二六日家人に「俺も男や一人ででつかいこと、一生一度の人生だ、のらりくらりやつておれん」と記した書置を残して家を出、同月二八日東京に着いた。

被告人は、上京してすぐ、東京都北区○○○×丁目×××番地の簡易旅館○○○に投宿したが、その頃、前記の女優等の誘拐には、仲間や車も必要で直ちにその計画を実現することは困難であつたところから、まず、部屋を借り家具等をそろえた豊かな生活をしたいとの気持から、質屋の子供を誘拐してその身代金として百万円程度の金をおどし取ることを思いつき、同月二九日、都内赤羽周辺を徘徊してその対象とする質屋を物色し、同区○○×丁目××番×号○○○○○店で腕時計や誘拐した相手の写真を撮るためのカメラを購入した際、土間に脱いであつた履物の様子から、同店には中学生くらいの息子がいることを知り、その息子を拐取して身代金を得ることを決意し、その結果後記「罪となる事実」第一記載の身代金目的拐取予備の犯行に出た。

右○○○○○店の息子の拐取に失敗した被告人は、その直後頃、王子駅付近でたまたま出会つた二二、三歳の女性に対し、旅館に誘つて強姦した後金を要求しようとの考えから、自らを興信所員と偽わつて、聞きたいことがあるから旅館に行こうと誘つたが、断わられたので簡単に諦めたことがあつた。そして、被告人は、やがて所持金も乏しくなり、昼間は映画やパチンコで時を過し、夜は野宿するといつた数日間を送つた後、同年八月二一日から品川区○○○のパチンコ店に店員として住み込み、その頃蒲田にいる三兄とも連絡をとり、○○の母にも近況を知らせた。右パチンコ店で働いていた間、被告人は、前記女優等の誘拐のことを考えることもなく、また、母あてにかつて入つていた生命保険の保険料を送るなど真面目に過していたが、昭和四四年一月五日、色々と客からの注文のうるさい右の仕事に嫌気をさして無断で同店を辞め、前記三兄の住む寮に身を寄せた後、同年一月一六日から、新聞の求人広告で知つた○○○製油株式会社に入社し、東京都港区○○○×丁目所在の同社○○○給油所で店員として働き、同給油所の隣りにあつた同社の寮に住むようになつた。

被告人は、同給油所で働き出してから夜間余暇があるようになつたためか、やがて、一時忘れていた前記女優等の誘拐計画について、またも時折思いをめぐらすようになり、また、同年三月頃からは、大金を得てぜいたくな暮らしをするために、多くのガソリン・スタンドを経営する石油会社の社長を脅して金員を喝取しようとの計画を考えるに至り、その方法として、スタンドのガソリン・タンクにホースで注水するとか、スタンドに駐車中の自動車の給油口から砂糖を投げ入れて自動車をエンストさせそのスタンドのガソリンの品質が悪いように客に思わせて信用を低下させるとか色々考えたすえ、ガソリン・スタンドの計量機の給油ホースを切断したり駐車中の自動車のタイヤをパンクさせる方法で相手にいやがらせをし、その後で脅迫状を送つて金を取ろうと決心し、同年四月中頃、映画館に備付の職業別電話番号簿で、大きなガソリンスタンドの経営者を物色し、○○石油株式会社を見つけると、ここを対象と決め、右番号簿から同社と社長宅の番号記載部分を破り取つた。こうした後に、被告人は、同年四月二七日から同年五月一一日頃にかけて、後記「罪となる事実」第二記載の二回にわたる器物損壊および恐喝未遂の各罪を犯したのであつた。この犯行の前後頃、被告人は、すぐに実行しようとの考えはなかつたが、前記の女優等の誘拐のことについても時々計画を練り、北区や品川区の地図の中の女優数名の住所地や将来大金を奪つた際の預金先としていくつかの郵便局や信用金庫の所在地に印をつけるなどのことをした。

その後も、被告人は、なお引き続き前記○○○給油所に勤め、同年六月末頃には、一時心を入れかえて真面目に働こうとの考えから、いつも給料からしていた預金の額を特別増やしたり、丸坊主になつたりしたが、その気持は長続きせず、一週間くらいでもとの気持に戻り、だんだんと仕事が嫌になり、先輩から子供扱いされることや同僚が悪ふざけに自分を相手にプロレスの真似をすることに対する不満もあつて、同年八月頃から、会社を辞めて子供の誘拐をして大金を手に入れ、楽な生活をするとともに女優等の誘拐の準備をしようとの意思を固めるに至り、同月二七日に退職した。この当時、被告人は、給料と預金の解約金を併せて約七五、〇〇〇円の現金を所持していた。

被告人は、翌八月二八日から、金のある質屋の子供を誘拐しようとの考えで、都内○○○付近の質屋で子供のいると思われる店を探して歩き始めた。同日夕刻には、風呂帰りに雨に遭い傘を買い求めるべく偶々立ち寄つた渋谷区○○○×丁目×番×号の本件殺人の被害者○○○○の父○○○○が経営する○○○○店で、同家の○○○(当時四歳)と○(当時二歳)の二人の子供の姿を認めたが、余り幼ないので親が眼を離さないであろうと考えて、誘拐の対象としては確定しなかつた。その一日か二日後、被告人は、同区○○○○×丁目×番地○○○○店にも子供がいるのを知つたが、なお徘徊するうち、同丁目××番地にある立派な家の○○○○店を認め、その頃、子供の誘拐ではなく、放火でもして家屋の一部を焼き相手の畏怖に乗じてさらに脅迫して金員を喝取しようと考えるに至り、放火の方法として、ガソりンをポリエチレン袋に入れて投げ入れ火をつけるという方法をとることを思いついたところから、同年八月三〇日夕方同丁目にある雑貨店でポリエチレン袋等を買い求め、また同夜都内広尾のガンリン・スタンドでガソリン四リットルを購入したうえ、同夜野宿した同区○○○×丁目×番×号の○○○○公園の便所内で、右ガソリンをポリエチレン袋二つに分け入れ、その各々の袋を三枚重ねとした。そうして、翌八月三一日、午前五時過ぎ頃、右ガソリン在中のポリエチレン袋二包みとマッチを持つて、同公園を出、子供のいる前記○○○○店に放火すれば脅迫の効果があるとの考えから、同質店に赴き、放火の機会をうかがつたが、向い側の家の人に見られた感じがしたので、同質店への放火は断念し、その代り前記○○○○店に放火することとして、直ちに同店に至り、後記「罪となる事実」第三記載の放火未遂の犯行に及んだ。そして、同店から少し離れたところから、同店の様子を見ていたが、家の一部を燃やすまでに至らず火が消えたため、この計画も失敗したと思い、同店からの金員喝取を断念した。

被告人は、右放火に失敗したため、また、質屋の子供を誘拐して身代金を得ようと考え、再び○○○付近を徘徊し、同日(八月三一日)頃の夜、前記○○○○店前を通りかかつたとき、店内に同家の長男○○○○(当時六歳)の姿を見つけ、同児を誘拐の対象とすることに決めた。そして、その翌日から、昼間は○○○○店の近くの前記○○○○公園(以下単に「○公園」という)で過し、夜も同公園で野宿したり右○○○○店の向いにある旅館等に泊るなどして、○○の動静を探り、その結果同年九月四日頃には、同人が○○小学校へ徒歩で通学していること、その登・下校の時間同人が午後三時頃になると○公園へ遊びに来ること、その他同人の友達関係などを知るに至り、その翌日頃から同月七日頃までの間、○公園に遊びに来る子供達を安心させ○○に近づく機会をつくるため、同公園で子供達と遊んだり、その子供達に菓子やおもちやを与えたりした。この間において、被告人は、実行の方法として、遊んでいる○○を友達を通じて連れ出し、腹を殴つて気絶させた後、タクシーに乗せて旅館に連れ込み、テープで両手足を縛つて猿ぐつわをかませ、薬を飲ませて眠らせ、鞄につめて押入れに入れておき両親に身代金を要求するということにしようと考え、同月七日の未明にはスナック店で、右犯行の手順や身代金の使途・犯行後の変装等について手帳に書いた。(その際、被告人は、前記女優等の誘拐計画を依然として持ち続けていたため、身代金の一部で将来右女優等を誘拐する際に必要と考える送信機等の器具を購入することも、右手帳に記した。)

同月八日、被告人は、いよいよその日○○の拐取を実行しようと思い、午後二時頃○公園に遊びに来た○○やその妹や友達に投玉等を与えて遊び、同公園から同人らを連れ出して○○小学校方面やその近くの空地などを連れ廻り、犯行の機会を狙つたが、いつも他の子供がいたり、またいざとなると容易に実行に踏み切れなかつたりするうち、午後六時過ぎ頃○○の父○○が迎えに来たため、遂にその日は誘拐するに至らなかつた。その結果、被告人は、所持金も少なくなつてきたところから焦りを覚え、その夕方○○の友達を使つて同人を誘い出すことはやめ、いつそ通学途中の同人を○○○交差点歩道橋付近で自ら襲い、同人に因縁をつけて同人が驚いたところを腹を殴つて気絶させたうえ略取しようと決心し、また同人が略取後騒いだりした場合には、同人を刺し殺すか旅館で絞殺するもやむをえないと考えるに至り、その日のうちに国鉄○○○駅近くの商店で死体を包む大型のポリエチレン袋(タテ七三センチメートル、ヨコ六四センチメートルのもの)一〇枚一組を購入するとともに、同駅の一時預り所に預けてあつた自己の荷物の中から、ラジオ、傘等とともに、くり小刀、布テープ等を取り出し、これらを持つて、同夜は○公園に駐車中の自動車の中で寝た。

九月九日朝、被告人は、○○の略取を実行するため、○公園で同人の登校を待ち受けたが、同人が母と一緒に出て来て学校近くまで母に付添われていたため、同人を略取することができず、また、その日午後になつて同公園にまた○○を見つけ、同人が「友達と会う約束をしている」と他の子供に話しているのを聞いて、ズボンをはきかえたうえ同人を略取しようと思い、近くのパチンコ店の便所でズボンをはきかえて戻つて来たところ、その間に同人がいなくなつていたため、またも不成功に終つた。同夜、被告人は、前記○公園の近くにある旅館○○○○○に宿泊し、翌朝再び通学途中の○○を略取することを期して、同旅館で所持品のうち、くり小刀等犯行のため携帯するものとそうでないものとを分けたりした。

九月一〇日朝、被告人は、午前八時頃目を覚し、○○は毎朝午前八時一〇分頃○公園を通つて通学するところから、急いで身仕度をし、くり小刀をシャツの下の腹のバンドのところにはさみ、布テープの芯を抜いたものをズボン左後ポケットに入れて、同旅館を出、小走りで午前八時五分頃○公園に着いた。そして、この後、後記「罪となる事実」第四記載の身代金目的略取、殺人、死体遺棄および身代金要求の各犯行に及んだものである。

(罪となる事実)

被告人は

第一  東京都北区○○×丁目××番×号○○○○○店経営者○藤○夫の三男○藤○三(当時一七歳)を拐取したうえ同人の安否を憂慮する右○藤○夫ら近親者の憂慮に乗じて身代金を交付させようと企て、当初は右○三の帰校時に自から同人を略取しようとの意図から、昭和四三年七月二九日頃から同年八月九日頃までの間に、同区○○○×丁目×××番地○剛○物店で、被拐取者を脅迫する際に用いるために、くり小刀一本(昭和四五年押四五六号の一四)を購入し、同区○○○×丁目×××番地○○○薬局で、拐取後被拐取者を眠らせる際に用いるために睡眠薬と思つて、鎮静剤ブネツテン六〇錠入り二瓶を購入した後、当時泊つていた同区○○○×丁目×××番地簡易旅館○○○の自室内で、右ブネツテン一瓶のほとんどを、ジュース等に溶けやすくするため、その頃別途買い求めておいたすり鉢およびすりこぎ棒を用いて粉末にし、さらに、その後計画を変更して興信所の者を用いて前記○三を誘拐しようとの意図から、同月九日○ジ○興○所に連絡して、同日午後三時頃同区○○○×丁目××番地喫茶店○○○○で同興信所調査員○沢○二と面談した際、「○戸」と名乗つて、情を知らない同人に対し「友人から頼まれたのだが、翌一〇日午後五時に○○○店の末つ子○三を旅館○○まで連れて来てもらいたい」旨依頼するとともに、その頃前記○○○のすぐ近くの同区○○○×丁目×××番地の旅館○○に電話して部屋を予約するなどして、拐取の準備をし(しかし、その後、右○沢に電話連絡した際、すでに不審に思つていた同人の電話内容から、怪しまれていると気づいて、以後右拐取の遂行を断念するに至り)、もつて身代金を目的とする拐取の予備をなした

第二  東京都墨田区○○×丁目×番×号所在○○石油株式会社の経営にかかる給油所の器具類を秘かに損壊したうえ、同社社長に脅迫文を送つて畏怖させ、これに乗じて同人から多額の金員を喝取しようと企て、

一  昭和四四年四月二七日午前一時頃、前記くり小刀を携行して、都内品川区○○○○×丁目××番×号所在の同会社○○○給油所に至り、同所において、同所備付の同社所有の給油計量機の各給油ホース三本を右くり小刀を用いて切断して、これを同所付近の道路下水槽の中に投棄し(損害額約四八、〇〇〇円)もつて器物を損壊し、

二  同年五月四日午前一時過ぎ頃、前記くり小刀を携行して、都内墨田区○○×丁目××番×号所在の同会社○○給油所に至り、同所において、同所備付の同社所有の給油計量機の給油ホース三本を前同様くり小刀で切断してこれを付近の川に投棄し(損害額約三九、五〇〇円)、また、右給油所に駐車中の同会社ほか五名の所有または管理にかかる自動車六台のタイヤ合計二〇本を右くり小刀で突き刺してパンクさせる等し(損害額約六五、五〇〇円)、もつて器物を損壊し

三  同月四日か五日の夜、当時の勤務先であつた前記○○○製油株式会社○○○給油所の隣りの同社従業員寮の自室で、手袋をはめ新しい便箋を用いるなど指紋を残さないように留意しながら、便箋二枚に、ボールペンで、「○○○、○○の次はどこにするかな、○○それとも○○の給油所か。俺達はお前にうらみはない、金が欲しいだけだ。百万円出す気が起きたら五月一一日東京タワーボーリング場の一、二、三番レーンを借り切つて、女三人に一人一レーンずつやらせておけ。金を出す気がないなら警察に知らせたと思い次の手を講じる。金を出す気があるならボーリングを。その後のことはまた手紙を出す。スネークマン一同。」という意味のかたかな文字の脅迫文を書き、これを、「東京都墨田区○○×の×の×○○石油株式会社○井○」宛、差出人「天下ツカム」名義の封筒に入れたうえ、同月六日都内渋谷区内の郵便ポストに投函して同会社に郵送し、同月九日頃すでに死亡していた右○井○の長男である同会社社長○井○昇にこれを閲読させ、よつて同人をして右要求に応じなければさらにいかなる営業上の損害を加えられるかもしれないと畏怖させて金員を喝取しようとしたが、同人がこれに応じなかつたため(同月一一日東京タワーボーリングセンターに赴いた被告人は、指定したとおりの状態にないことから同人が要求に応じなかつたことを知つて計画を断念し)、喝取の目的を遂げることができなかつた

第三  東京都渋谷区○○○○×丁目××番地○○○○店経営者○○○○方家屋の一部等を焼きその後さらに同人らを脅迫して金員を喝取しようとの意図に基づき、同年八月三一日午前六時頃、ガソリン四リットルを詰め分けたポリエチレン製袋二袋(いずれも三重に包んだもの)およびマッチなどを携行して右○○方に至り、同家屋南側棟門(屋根付の門)の門扉上部の際間から右ガソリン入りポリエチレン製袋二袋を門内の石畳の上に投げ落し、袋内のガソリンの半分以上を、同家母屋南側壁面に密接してある竹垣と右門との間約七五センチメートル幅の狭いところ一帯に四散させ、前記門扉下部の際間から覗いてこのことを確認した後、右ガソリンに火を点ければ火は右竹垣から母屋に燃え移るであろうと思いながら、前記棟門上部の際間から、はじめに火の点いたタバコを、ついで点火したマッチ十数本の入つたマッチ箱一箱をそこに投げこんだが、いずれもガソリンに点火しなかつたため、さらに付近に落ちていた包装紙ようの紙に別のマッチで点火してこれを同様門内に投げ入れてガソリンに引火させ、もつて人の現に住居に使用する前記家屋に放火し、その場から離れたが、前記竹垣の結び紐を焦がしたのみで自然鎮火したため、同家屋焼燬の目的を遂げることができなかつた

第四  東京都渋谷区○○○×丁目×番×号○○○○店経営者○○○○の長男○○小学校一年生○○(当時六歳)を略取したうえ同人の安否を憂慮する右○○○○ら近親者の憂慮に乗じて身代金を交付させようと企て、右○○が略取後もし騒いだりした場合は同人を殺害するもやむをえないものとの考えを抱いたうえ、

一  同年九月一〇日午前八時五分頃から、右○○の通学路である同区○○○×丁目×番の○○○○公園で同人が来るのを待ち受け、間もなく友人二名と登校するため同所に現われた同人のあとを追い、午前八時一〇分頃同人が同区○×丁目×番××号先の○○○交差点歩道橋をわたりその北東階段を降り終ろうとするや、同人のえり首をつかんで同階段下の路上に連れ込み「俺の弟を泣かしたろう」と因縁をつけたうえ、同人の腹部を右手拳で強打し、このため同人が泣き出すや、帽子やランドセルをその場に脱がせ、「助けて、助けて」と泣き叫び、もがく同人を両手に抱きかかえて、通行人らに略取の事実を気づかれないよう偽装するため、わざと「がんばれ」などと声を発しながら走つて同人を同区○×丁目××番地渋谷区立○○○○公衆便所内に拉致し、もつて同人の安否を憂慮する近親者らの憂慮に乗じて金員を交付させる目的で同人を略取し、

二  同公衆便所の男用大便所内に同人を連れ込んだうえ、内側より施錠したが、同人が「助けて」「殺される」と大声で泣き暴れるため同人を仰向けに倒し、手で同人の口と頭を押えつけたり、右手で同人の口を押えながら左手でポケットから取り出した布テープを口で一五センチメートルくらいの長さに切りとつて同人の口に貼りつけたり、さらに同人の両手首を合せてこれに布テープを二回程巻きつけたりしたけれども、同人が激しく暴れるうち口に貼つた布テープが剥がれて、また泣き叫んだため、これを聞きつけた女の人から「どうしたのですか」と声をかけられ、驚いて○○の口を両手で塞ぎ、右膝で同人の腹部を押えつけて声を出させないようにしながら、再度ドアの外から前同様二回ばかり尋ねてきた女の声に対し「何でもないんです」とくり返し答えて、同女を去らせた後、○○の口に所携のハンカチを押し込み、その上に布テープをまた貼つたところ、その間に両手の布テープを外し取つた同人が口に貼つたばかりの右布テープももぎとり、またも「殺される」「助けてえ」と大声で叫んで暴れ出した。ここにおいて、被告人は、もはやこの場で同人を殺害するほかないと考え、同日午前八時二〇分頃、右膝で同人の腹部を押えつけ、左手で同人の口を押えた姿勢のもと、右手で腹のとこにはさんであつた刃体の長さ約一四センチメートルのくり小刀(前同号の一四)を順手に持つてとり出したうえ、同人の胸部を突き刺すべくこれを前に構えたところ、同人がこれを防ぐため両手で右小刀の刃をつかんだため、右小刀を右逆手に握り直して上方に引き上げ、その結果同人の手が右小刀から離れるや、そのまま同人の心臓部めがけて右くり小刀を力いつぱい突き刺し、よつて同人を胸部左側刺創による左肺臓、胸部大動脈損傷に基づく出血のため即死させて殺害し、

三  その後、数分間右便所内で同人の様子を見ていた後、同人の死体を鞄に詰めて始末しようと考え、くり小刀や手についた血をちり紙で拭つたうえ、死体をそのままにして、ドアを越えて便所の外に出大きいビニール製オープンケースを売つていることを前日確かめてあつた近くの同区○○○○×丁目×番地所在○○鞄店に赴き、右オープンケース一個(高さ四六センチメートル、長さ六六センチメートル。前同号の二四)を買い求めて前記便所内に立ち戻り、○○の死体を便器の上に斜めうつ伏せにわたして血を切つてから、これを右オープンケースに入れ、同便所の床のタイルや壁等についた血をハンカチで拭る取るなどした後、同日午前八時四〇分頃右死体入りのケースを持つて便所を出、タクシーを拾つて○○駅に向つたが、途中、タクシーを待たせて、前夜宿泊した前記○○○○荘に立ち寄り、同月八日夜に買い求めてあつた前記大型ポリエチレン袋等の入つている手提袋を持ち出してタクシーに戻り、そのまま同区○○×丁目××番×号国鉄○○駅付近まで行つて下車し、同駅北口男便所の大便所内に入つたうえ、同所で、前記ポリエチレン袋八枚(前同号の三〇)を用いて、オープンケースから出した○○の死体を包み布テープ(前同号の三〇)で貼りつけて、再び右ケースに入れ、これを同便所内から搬出した後、同日午前一〇時過ぎ頃同番地の東京急行東横線○○駅構内携帯品一時預り所に、右死体入りのオープンケースを預けて、その場から去り、もつて前記○○の死体を遺棄し、

四  右記載のとおり死体を遺棄した後、計画どおり○○の親に電話をかけて身代金を要求しようと考え、国鉄○○○駅付近の電柱広告により前記○○○○店○○○○方の電話番号を確認してメモし、ついで同区○○○×丁目××番×号○○○製パン株式会社喫茶部に行つて、そこでメモ帳に、電話で通知する脅迫と身代金要求の文句を起案したうえ、同日午前一一時二五分頃同区○○○○×丁目×番地国鉄○○○駅構内公衆電話ボックスから前記○○○○宅に電話をかけ、電話口に出た同人に対し、「ガキは預つている、五〇〇万円用意しろ、一日だけ待つてやる、警察に知らせたらかたわになるか生きてはもどらないぜ、それでもよかつたら知らせな、また電話する」と、前記メモ帳を見ながら起案したとおり告げて、身代金を要求し、もつて被拐取者の安否を憂慮する者の憂慮に乗じて財物を要求する行為をなした

ものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(争点についての判断)

一  放火の犯意について

弁護人は、判示第三の放火未遂の犯行について、「被告人には門および垣根をこがす程度の故意しかなかつたから、現住建造物放火未遂は成立しない」旨主張し、被告人も当公判廷では、「母屋に燃え移つていくということは考えなかつた。ただ、竹垣が燃えればよいと思つていた」旨供述している。

しかし、司法警察員井上健次および同菅野運四郎各作成の各実況見分調書によると、母屋南側と竹垣との位置は極めて接近しており、母屋南側の壁と竹垣との間はもつとも狭いところで一〇センチメートル、もつとも広いところで五〇センチメートルに過ぎないのであり、しかも母屋土間部分の屋根のひさしは右竹垣(高さ一・八八メートル)のうえに若干かぶさるように位置していることが認められるから、被告人が判示認定のとおり右竹垣と門との間にガソリンを四散させてこれに火をつければ、その火が竹垣をつたわつて右母屋に燃え移る危険は非常に高いものがあつたことは明らかであるといわなければならない。そして、右犯行の時刻における明るさからすると、被告人としては、仮りに右竹垣と母屋との間の厳密な距離関係や母屋南側の壁面の詳細な状況についてはこれを見ることができなかつたとしても、右竹垣と母屋とのおおよその位置関係はこれを見て知つたうえで犯行に及んだものと認められるから、当然、被告人は、右母屋への延焼の危険のあることも知つていたものと推断することができる。被告人に少くとも現住建造物放火の未必的犯意のあつたことは疑いの余地がない。

二  殺意の発生時期について

弁護人は、判示第四の犯行につき、被告人の○○に対する殺意は同人を公衆便所内に連れこんだ後において周章狼狽した結果あばれる同人の処置に窮してはじめて突さに生じたものである旨主張し、被告人も当公判廷でその旨供述する。

この点についての被告人の捜査段階での各供述調書をみると、被告人が逮捕された日に作成された司法警察員の弁解録取書および同日付の司法警察員調書では、右弁護人の主張に添う自白記載があるが、九月一二日付の検察官調書では、「もし子供が騒いだりしてどうにも手に負えないときは、前から持つている切出小刀で刺すなどして殺してしまうほかないというふうに考えておりました。」「ビニール袋は子供の死体を包む様な場合必要だと思つて前もつて買つておいたものです。」と発生時期について具体的記載はないが事前の殺意を認めており、九月一七日付、同月一八日付および同月二一日付の各司法警察員調書では、九月八日の夕方に殺意が生じ、ビニール袋も死体を入れるために用意した旨、また九月二五日付検察官調書にも同旨の各記載がある。そして、一〇月三〇日付の検察官調書では、「家庭裁判所における審判の際、初めから○○ちやんを殺してやろうという気持はなく便所に連れて行つてから騒がれたので殺す気になつたというふうに述べたのは、兄がそばで聞いていたので、その場の雰囲気からいつて初めから殺す気があつたというふうに述べる勇気がなく、少しでも自分の罪を軽くしたい気持も手伝つて述べたものであるが、実際のところは警察や検察庁で申し上げたとおりである」旨の記載がある。

当裁判所は、前記「被告人の生立ちと犯行に至る経過」の項で、「被告人は、九月八日の夜に、○○が略取後騒いだりした場合には同人を刺し殺すか旅館で絞殺するもやむをえないと考えるに至つた」旨認定したが、その主たる根拠は次のとおりである。

(一)  あらかじめ、殺害を予期していないのに、九月一〇日の本件犯行にあたりくり小刀を携行するのは、不自然であるし、右くり小刀は、九月八日までは○○○駅に預けてあつたものであるが、被告人がこれを九月八日の夜はじめて同駅から受け出したこと。(このことは争いがない。被告人は、当公判廷で、右受出の理由につき、くり小刀があれば誘拐を決行するのに自分が強くなつたような気分になり、自らを落ちつかせることができるためである旨供述しているが、この供述は誘拐の対象としていた者が小学校一年生の児童であるだけに不自然な供述であるというほかない。)

(二)  被告人は同夜に○○○駅近くの商店で○○の死体を包むのに現に用いた大型ポリエチレン袋を「背広を入れるくらいの大きさのを下さい」といつて購入していること。(このことも、被告人が当公判廷でも認めるところである。被告人は、右購入の理由について、当公判廷では、「そのうちの一枚で駅の預り所から出した荷物の小物を入れるためであつた」と述べ、さらに、背広を入れる必要もなかつたのに、「背広を入れるくらいの大きさ」といつた理由を尋ねられて、「その時思い出さなかつたというかか、興奮していたからであろうと思う」と供述しているが、小物を入れるのに右袋は大きすぎるし、また後者の供述はあいまいである。)

(三)  被告人は、○○を殺害後、○○商店で、同人の死体を入れるのに用いたオープンケースを購入しているが、被告人の当公判廷における供述および司法警察員に対する九月一九日付供述調書によると、これは被告人が九月九日にあらかじめ同店で下見しておいたものであると認められること。

(四)  ○○を殺害してから、その死体を○○駅に預けるまでの判示第四の三に認定の一連の行動を、被告人は、非常に機敏かつ適確になし遂げているが、これはあらかじめ○○殺害を予期していたのでなければ困難と思われること。

(五)  被告人は、九月七日には誘拐した○○を催眠効果があると思つていた目薬で眠らせて鞄に入れて旅館においておく計画をたてていた(被告人の九月一七日付司法警察員調書)のに、九月九日には、前日○○○駅から出したところの目薬をまた駅に預けていること。

(六)  前記被告人の九月一二日付検察官調書の自白記載は、検察官と初対面で弁解の機会を与えられた際の供述であるから、信用性が高いと思われること。

以上のこと等に照らすと、前記九月一二日付以降の各自供調書中の殺意発生時期についての供述は信用できるものと認められるので、少くとも、被告人の殺意は、前認定のとおり、蓋然的なものではあつたが、すでに九月八日の夕方には生じていたものと認めるのが相当である。

三  犯行時における被告人の精神状態について

弁護人は、「被告人は、生来的なものに起因する分裂病質のうえに脳の透明中隔腔嚢胞による脳器質性障害の影響が加わつたところの、空想性、情性欠如性を伴う異常性格者で、その精神障害の程度は著るしく、そのため、本件各犯行当時も、是非善悪は弁識しえても、これに従つて行動することが著るしく困難であつた。すなわち、本件各犯行当時、被告人は刑法三九条にいわゆる心神耗弱の状態にあつたものである。」と主張する。

弁護人の右主張は、当裁判所が「本件犯行当時および現在における被告人の精神状態――とくに被告人の性格、行動傾向における特徴と本件各犯行との関係を中心として――」との鑑定事項により鑑定を命じた鑑定人武村信義および鑑定人保崎秀夫の各鑑定結果(以下前者を武村鑑定、後者を保崎鑑定と略称することがある)のうち、武村鑑定の鑑定(同鑑定人の鑑定意見は、その作成にかかる精神鑑定書、右「鑑定書の一部の訂正および補充」書および同人の鑑定人兼証人としての当公判廷における供述として本件審理に表わされている。)を採用してこれに依拠しているものである。

そこで、まず、武村鑑定についてその内容をみると、武村鑑定の鑑定主文は、

「一、被告人の現在の精神状態は生来性の異常性格の上に、主として透明中隔腔嚢胞に基く脳器質性障害の影響が加わつているとみるべき状態である。なお被告人の生来性の異常性格にはY染色体異常の影響も考慮されなければならない。

一、被告人の本件各犯行時における精神状態は現在の精神状態とほぼ同様であつて、行為の不法性を洞察し、この洞察に従つて行動することを期待することは全く不可能ではなかつたが、著しく困難であつた疑いが強い。」

というものである。そして、右にいう「生来性の異常性格」とは、「自閉性を基本的特徴とする」「比較的活溌な空想性と情性欠如性を伴う粘着性気質を加味した分裂病質」(鑑定書一五三、一八〇頁)のことであり、「透明中隔腔嚢胞」(以下、引用する場合を除き、単に「のう胞」という)とは、気脳写検査の結果認めたところの、被告人の脳内の左右脳側室間の透明中隔が異常に(中央部最大一一ミリ)開いていることを指し(鑑定書七六頁以下)、「Y染色体異常」とは、染色体検査の結果発見されたところの、被告人のY染色体が異常に長いというY染色体の形態上の異常をいう(鑑定書一八八頁以下)ものである。また、同鑑定人の説明によると、前記のう胞の精神状態への影響は、前記異常性格を強めるという形のものであり(鑑定書二四六頁以下、公判廷における供述)、のう胞が性格異常とは別の顕著な精神障害を惹起しているということではないのである。また、同鑑定人は、前記鑑定主文に到達した判断過程について、「被告人の素質的・生来的異常性格に関しては(被告人の異常性がそれだけによると仮にした場合)、同様の例は通例完全有害とされている経験的事実に照らして、完全有責といわざるをえない。しかし、そこに何か割り切れぬものが残る。」(訂正・補充書六頁)とか、「Y染色体異常の存在は、それ単独では、犯罪に陥りやすい異常性格傾向の遺伝と同様に考えるべきことで、責任能力に影響をもつ生物学的条件とは認められないと考える。尤も、ここにも少々疑問がある。」(訂正・補充書六・七頁)と述べたうえで、「被告人においては、分裂病質という異常性があり、この種の異常性格に対して限定有責を認めた判例がある。被告人の異常性は類破爪病であると診る医師があるであろうし、この時は責任無能力ないし限定責任能力が問題となろう。その上に、Y染色体異常も認められ、これまた責任能力を阻却・低減する理由とならないにしても、後述の如き疑問もあるのである。これらの事情を加味して被告人の責任能力を考えるとき、分裂病質とY染色体異常については責任無能力・限定責任能力の生物学的前提条件とはならないと考えてきた鑑定人も、透明中隔腔嚢胞を認めるに及んで、これら諸条件の重複をもつて著るしい精神障害に相当し、その程度は限定有責とすべき程度と判断するのである。」(訂正・補充書七・八頁)と説明している。そして、同鑑定人の当公判廷における供述によると、本件各犯行との関係で、最も重要視されるのは、被告人の高度の情性欠如性であり、(ここにいう情性とは「人間的な温かさ、憐み、同情、誠実、後悔の念、良心などと呼ばれる一連の人間的心情および価値観、価値に対する感受性と追求・価値への愛の根底に横たわる一つの精神機能である」((鑑定書一七一頁))とか、「心ない仕打ちという場合の心」((公判廷における供述))であるとか説明されている。)被告人は、かかる情性が非常に乏しかつたため、知的には本件各犯行が悪いことだと知りながら、これを抑制することが難しかつたものであるということである。

そこで、次に、右武村鑑定について検討してみるのに、当裁判所としては、武村鑑定が被告人の性格特徴を前記のとおり「自閉性を基本的特徴とする、比較的活発な空想性と情性欠如性を伴う粘着性気質を加味した分裂病質」としているところについては結論として疑問をさしはさまないものである(もつとも、情性欠如性については、鑑定人保崎秀夫の鑑定書では、後記のとおり被告人の性格特徴としてこれを掲げておらず、同人の鑑定人兼証人としての当公判廷における供述中には、被告人の生育史中の各言動について情性欠如性の現われであるとして理解するのが相当であるようなものは認め難かつた旨の供述があることや、武村鑑定が情性欠如性を認めるべき特徴として列記しているところの、被告人が(イ)幼少期母の注意が守れず、また聞き分けが悪かつたこと、(ロ)小学生のとき、忘れ物が多く物をなくしたり扱い方が粗末であり、危険な遊びをしたり、いたずらが多かつたこと、(ハ)中学生のとき、自分を向上させようとする気持に乏しく、勉強に身を入れなかつたこと、(ニ)青年期において家出して家族中に一年近く音信不通であつたこと、(ホ)本件においても、犯行について淡々と語り、悔悟の念薄く、罪の重大性に対する認識が薄いこと等((鑑定書一七一~一七九頁))のうち(イ)ないし(ニ)のことについては、当裁判所としても、前記保崎鑑定にも照らし、果して情性欠如性の特徴としてしか理解できないものであるかどうかはかなり疑問に思う点もある等するが、保崎鑑定も、本件犯行についていえば「結果的には情性欠如がこれにふみ切らせたといつてもいいと思う」と述べていること((公判廷における供述))、少年鑑別所の鑑別結果通知書も被告人の性格特徴の一つに「情性、共感性の乏しさ」をあげていること、本件各犯行の態様経過等によつても、情性欠如性を被告人の性格特徴の一つと見てよいものと考える。)。

しかし、武村鑑定に対しては、次の各点に疑問があると考える。

(一)  まず、武村鑑定は、のう胞の影響を重視しすぎているのではないかと思われる。被告人に前記のう胞の存することは事実であるが、現在の知見では、それ自体は一種の脳の奇型というにとどまり(保崎鑑定人の公判廷における供述)、武村鑑定人自身も、「今日のところ透明中隔腔嚢胞の精神面に及ぼす影響については詳しいことはほとんど判つていない」(鑑定書二一〇頁)と述べ、また被告人に見られるのう胞による症状についても、同鑑定人自らが「しかし、透明中隔腔嚢胞によつて手術を受けた他のいくたの症例に見られる頭痛、嘔吐、痙攣の症状は認められず、また頭蓋内圧亢進の結果としての眼底検査における鬱血乳頭もみられない。すなわち被告人の透明中隔腔嚢胞はほとんど無症状に留つている」(鑑定書九九頁)とし、その症状として理解しうるとする被告人の訴える一過性の頭部膨張感、めまい、体の動揺感、本件で勾留されてからの不眠を「微細」な身体症状(鑑定書二一三頁)と評しているのに、前述のとおり、限定責任能力の結論を導き出す判断過程ではこれを非常に重視しているのは必らずしも当を得たものとは思われないのである。

(二)  また、Y染色体の異常の点についても、武村鑑定人自らが「人類の染色体異常についての研究はまだ日浅く解明されていない事柄が多」く、その数の異常についてもその研究が進んだのは僅かこの数年のことであるが、「Yの長さの異常と犯罪または異常性格との関係はまたほとんど研究されていない」としながら(鑑定書一八九、一九一頁)、「しかし、YY症候群と同様に長大なY染色体もまた犯罪または異常性格と関連があるかもしれないことは充分考えられるところである」(鑑定書一九一頁)という程度のことで、これを責任能力の有無に関しても重視すべきものの一つとしてとくにとり上げているのは根拠が弱いといわざるを得ないし、しかも同鑑定人が本鑑定中にした検査によつても、Y染色体の長かつた他の五名の者のいずれもが犯罪的傾向がなく、その中には明らかな性格異常者でない者が見られるというのに、被告人について、前記のとおりあえて鑑定主文にも記載する程Y染色体の形態の異常を考慮するのは、当裁判所として十分に理解し難いものがある。

(三)  また、武村鑑定が、前記のとおり、鑑定の結論に至る思考の過程で、(1)分裂病質のような異常性格に対して限定有責を認めた判例があるということを考慮すべきことの一つにあげているが、これは、同鑑定人が「一般に分裂病質も、たとえきわめて重篤なものであつても、それは疾患ではないから、異常性格の中で特別に扱う理由はないと思う。なお、異常性格の程度がごく高度であることも、異常性格者の異常性格特徴が犯行に密接に関与していることも、責任能力の減免の理由にはなりえないと考える。」(訂正・補充書四頁)と明言していることと、どう矛盾なくつながるのか疑問であるし、(2)また、被告人の異常性は類破爪病であると診る医師があるであろうことを考慮すべきことの他の一つにあげているが、こうすることも、同鑑定人が、「被告人の自閉性は、他の分裂病症状を伴わず、現実との接触を全く喪失したものでもない等から分裂症状のものではないと判断される」(鑑定書二一八頁)とか、被告人に精神分裂病を疑わせるごとき徴候は「全く認められない」(同八五頁)とか、「被告人は精神分裂病の遺伝負因を有し、青年期に顕著な性格変化をみた。これを鑑定人は分裂病と診断せず、分裂病質と診断した。この診断は鑑定人の臨床経験に基く確信を伴つている。」(訂正・補充書九頁)と断言していることと相容れないものであり、論旨矛盾と思われる。

(四)  最後に、武村鑑定は結論として被告人を限定責任能力者とみるべき疑いが強いとするのであるが、同鑑定人は前述のとおり、性格異常のみではそれがいかに高度であつても完全有責とみるべきだとし、かつ被告人に見られる精神の働きの異常性は性格の異常のみであるとしている(Y染色体の異常は生来性の異常性格の一因に過ぎず、またのう胞も性格異常を強める働きのものと同鑑定人は述べているのであつて、この二つが性格異常とは別の精神の働きの異常を来すものと述べていないことは前述のとおりである)のに、異常性格と前述のとおり甚だ根拠の乏しいY染色体異常とのう胞の影響を並列的に複合させた結果前記結論に到達しているのは、当裁判所として理解に苦しむところである。

要するに、武村鑑定には、その結論を導き出す過程において、不確かなものを根拠としていたり、矛盾点がある等の誤りがあるとの疑問が強いものと当裁判所は考えるのであり、従つて同鑑定が前記鑑定主文で示している「被告人が本件各犯行当時、行為の不法性の洞察に従つて行動することは著るしく困難であつた疑いが強い」との鑑定意見は到底これを採用することができないと判断する。

そして、当裁判所は武村鑑定のみによつても、(1)武村鑑定が、被告人の平素の精神状態は「意識は常に清明で狭窄を認めず、時・所の見当付正しく、状況も適確に把握しており、注意も適当に保たれ、粗大な記憶障害もなく、意識喪失発作の事実もなく、要するに意識状態には何らの障害を認めない。気分も安定していて、病的昂揚あるいは渋滞の事実なく抑制の異常な欠如または亢進も示さない。被害妄想や幻聴の如き狭義の精神病症状なく、人格荒廃、知能低下(痴呆)も証明せず、あるいは接触の病的障害、感情純麻、意志減退も認められない」(鑑定書八四頁)という状態であるとされていること、(2)同じく武村鑑定が、被告人が本件行為当時自分が悪いことをやつているんだという認識は十分あつたとしていること(前記鑑定主文および公判供述)、(3)被告人が本件各犯行当時薬物またはアルコール等の影響を全く受けていなかつたこと、および(4)本件各犯行の遂行過程を見ても、格段被告人の心神の正常を疑わしめるような点はなんら存しないこと等を総合すると、たとえ被告人に高度の情性欠如性等の性格の異常があつたとしても、また仮りに右異常性格の形成にY染色体の異常やのう胞の存在が影響しているとしても、本件各犯行当時、被告人の事理を弁識しこれに従つて行動する能力が通常人に比して著るしく減退した状態にはなかつたものと十分認めることができるものと考えるところ、さらに、保崎鑑定では、

「一 被告人I・Oは、知能は正常範囲内にあり、性格的に空想性、内向性、非社交性、意志薄弱、過敏、執念深さなどの傾向を主徴とし、現実検討能力の欠乏を示す、未分化で未成熟な偏りをもつている。特に狭義の精神病者であるような症状はない。

二 犯行時も右の状態以外に、特に付加すべき異常の状態があつたという確証はなく、これらの性格の基盤の上に、一見可成り計画的と思われる犯行が行われているが、その計画性の中には被告人の空想性、未熟さが混入されているのが特徴的である。」(鑑定主文)

とされていることおよび医師市川達郎作成の精神衛生診断書の診断内容を併せ考えると、本件各犯行が心神耗弱者の犯行とみるべきではなく、被告人が完全な責任能力を有することについては、証明十分なものがあると考える。

よつて、弁護人の前記主張はこれを採用しない。

(法令の適用と量刑理由)

被告人の判示第一の行為は刑法二二八条の三本文に、判示第二の一および二の各行為は各同法二六一条・罰金等臨時措置法三条一項一号に、同三の行為は刑法二五〇条・二四九条一項に、判示第三の行為は同法一一二条・一〇八条に、判示第四の一の行為は同法二二五条の二・一項に、同二の行為は同法一九九条に、同三の行為は同法一九〇条に、同四の行為は同法二二五条の二・二項、一項にそれぞれ該当するところ、判示第四の一の行為と同四の行為との間には手段結果の関係があるので、同法五四条一項後段・一〇条により一罪として犯情の重い前者の罪の刑に従い処断する。そこで、判示第四の二の殺人罪につきいかなる刑を選択すべきかを検討する。

(一)  身代金取得のために抵抗力の弱い児童を拐取し、これを秘かに殺害したうえ、その家族に対し憂慮に乗じて身代金を要求する行為が、極めて卑劣かつ悪質な犯行であることは、あらためて詳しく述べるまでもないところであり、とくに本件においては、友達と連れ立つて元気に登校する途中の何の罪もない小学校一年生の児童を突如一瞬のうちにかつさらい、大胆不敵にも大勢の通行人らに見られていることをも意に介せず突つ走つて公衆便所内に連れ込み、僅か約一〇分後にはこれを無残な死体と化せしめているのであり、まことに恐しい犯行というほかはない。その殺害の態様も、突如として襲つた侵害行為におそれ戦き「殺される、助けて」などと必死に泣き叫ぶ被害者に対し、用意の布テープやハンカチで口を塞いだり、膝で腹部を押さえつける等の暴行を加え被害者を甚しい恐怖のどん底に陥れたうえ、予め用意していた鋭利なくり小刀を取り出し、刺そうとするや身の危険を感じて小さい手でその刃を握るなどして必死に防禦を尽した被害者を無残にも右くり小刀を逆手にもち直して胸部目がけて一突きし、死に追いやつたものであり、まことに無情で残酷な所為というべきである。

(二)  しかも、被告人が右行為の際に有した殺意は、殺害現場で予期しなと事態の発生に周章狼狽のあまり、とつさに生じたものではなく、前認定のとおり蓋然的なものであつたにせよ、予め犯行前から抱いていたものであり、この点においても犯情は悪いといわなければならない。

(三)  被告人が本件のごとき重大な犯行を企てるようになつた動機形成の過程は、先に詳しく記したとおりで、一口でいえば、本件はただぜいたくな、カッコいい生活をしたいということを主たる動機とする犯行であり、同情すべき事情は全く見出せず、そのうえ、被告人は、本件で身代金を獲得すればそれでともかく一応は満足し以後はつとめて悪事をしないで暮らすという考えであつたものではなく、近い将来のことではないとしても、ゆくゆくはさらに女優等を誘拐して大金を得ることを目論んでいたもので、本件は、そのための手段でもあつたという一面があるのである。犯行の動機の悪さにも、また格段のものがあるというべきである。

(四)  また、本件身代金目的略取等の犯行は、全般的に見て、取得すべき身代金の使途についてまで細かく考えたうえでの計画的犯行であり、○○殺害後身代金要求までの一連の行動過程を見ても、被告人は比較的冷静、細心かつ機敏に事を進めたうえで、自らがその命を奪つてまだ僅か三時間程しか経つていない子供の親に平然として身代金要求の電話をしたもので、犯行過程に現われている被告人の冷酷な犯罪的性格は顕著なものがある。

(五)  被害者○○は、父○○○○、母○○の間の長男として生まれ、質商を営む幸福な家庭の中で両親らの愛情と期待を受けて健やかに成長した、温和しくて素直な性質の子で、本件被害当時六歳八ヵ月の小学校一年生であつた。それが、まだ二学期が始まつて間もない朝の通学途上に、全くも思いもかけずに襲つた死の危険に想像を絶する恐怖を味わわせられ、精一杯の抵抗も空しく無残に殺害されたのである。まことに不憫で痛ましい限りである。また、両親にとつては、元気に送り出したわが子が学校にいるものとばかり思つていたところ、間もなく略取されたらしいと判り、方々に手を尽して、言葉でいい表わせないほどその身を案ずるうち、犯人から身代金要求の電話がかかり、わが子が生きて返してもらえるならばどんな要求にでも応じようと身代金を準備して犯人からの次の連絡を待つた甲斐もなく、やがて無残な死体と化したわが子を見る憂き目に陥れられたものであり、これにより両親はもちろん家族一同の受けた心痛と衝撃は測り知れないものがあり、記録によつても、○○の両親が事件後その余りにも強い衝撃と深い悲しみのために心身に異常を来したことのあつたことが認められるのである。とくに、本件では、偶然そうなつたとはいえ、判示第三の放火未遂の犯行の対象となつた○○○○店の経営者○○○○は、○○の父○○の実父にあたるという関係もあつて、右○○らの被告人を憎む気持はまことに強烈である。

(六)  本件略取、殺人等の犯行が社会に与えたショックと不安は絶大なものがある。とくに、これが通学途上の小学生に対する犯行であつたため、学校・幼稚園に通う児童、その親、学校・幼稚園の関係者はもとよりのこと、一般の社会の人たちにも、児童の通学等の安全について大きな不安を与え、社会の多くの人が○○に対する深い同情と犯人に対する強い怒りの気持を抱いたのであつた。

(七)  幼児・児童を対象とする身代金目的拐取の犯行は、その実行の容易さゆえに模倣性、伝播性を有する犯行であるところ、その防止策として考えられる色々な自衛的措置もその実効性に限界があるのであつて、この種事犯の禁遏のため犯人に対し厳罰を科する必要性の小さくないことは、いまさらいうまでもないが、このことは本件量刑上判底無視できない事柄として挙げておかなければならない。

(八)  本件の○○略取・殺害等の犯行当時、被告人は一九歳に達したばかりの少年で、またその犯行は未熟で現実検討能力の乏しい被告人の人格に基因する面もあつてその意味では少年犯罪としての一つの特徴を有するものと評し得るのであるが、被告人の生立ちについてみれば、被告人の育つてきた家庭は経済的には決して豊かではなかつたけれども兄弟の中では比較的恵まれていた方であり、末子として多少甘やかされたほかには、その家庭環境、経済的環境、地域環境等において本件量刑上被告人に有利に考慮できるような特別な問題点は見出し難く、本件犯行についての責はすべて被告人自らが負うべきものと認められる。

(九)  被告人は、捜査段階以来本件につき深く反省している旨の供述をしているが、その内容とするところは、「一日も早く社会に出て、変装して被害者の家に行つて働かせてもらつて償いをしたい」とか「被害者の家で仇討ちみたいなことをされたい」などと非現実的なことをいつているものもあり、このことや当公判廷における態度が、途中までは、深刻感に欠けるものがあり、時には薄笑いを浮べほとんど無表情であつたことを併せ考えると、裁判所の眼からみても、被告人には温かい血が通つていないのではないかと疑われることがあつた。しかし、幸いなことに、被告人の法廷態度は、ようやく公判の最終段階に至つて重罪を犯した者として自己の罪の恐ろしさを自覚しているとうかがわれる態度に変り、そこに当裁判所としても被告人における人間性の回復のきざしを感じて救われた感を抱くに至つた次第である。

以上考察してきたところによると、本件○○殺害を中心とする一連の犯行は、罪質および結果が極めて重大で、動機、態様の悪質さにも格別のものがあり、被害感情および本件の社会的影響も強烈、絶大であるといいうるのであつて、被告人の刑責は法の予想する最も重いところのものといわざるをえないから、前記のとおり被告人に改悛の情が今では認められること、被告人には、これまで犯歴がなく、本件が少年中の犯行であつて、被告人は現在まだ二一歳の若者であること、被告人の両親、兄弟らが事件発覚後今日までいたたまれない思いで暮らし来、今また本判決により深い悲嘆の情にくれるであろうこと等を最大限被告人に有利に斟酌し、かつ死刑制度に関する諸外国の立法の動向や死刑廃止を求める様々の主張に対する考慮を十分にめぐらしても、やはり死刑制度が存置されているわが法制のもとにおいては、被告人に対し極刑を以つて臨むもやむをえないものと考える。

よつて、判示第四の二の殺人罪につき所定刑中死刑を選択し、これと前記本件他の各罪とは刑法四五条前段の併合罪の関係にあるので、同法四六条一項本文に従い他の罪の刑はこれを科さないこととする。

なお、押収してあるくり小刀一本(昭和四五年押四五六号の一四)は、判示第四の二の罪の関係で、大型スーツケース一個(同号の二四)とビニール袋八枚および布テープ六枚(同号の三〇)は判示第四の三の罪の関係で、いずれも同法一九条一項二号、二項本文に該当する物件であるから、これらを没収し、訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項但書により被告人には負担させないこととする。

よつて、主文のとおり判決する。

公判期日に出席した検察官有村秀夫

同弁護人吉川基道、大竹秀達

(裁判長裁判官 熊谷弘 裁判官 礒辺衛 金谷利広)

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